ライター時代に頭に叩きこまれて良かったと思うことのひとつが、事象を斜めから見る(多面的に見る)という考え方だ。最近の例だと、ワンサイドから書かれたリンガーハットの記事が、関係者から批判をあびていたが、確かにこの記事だけ読むと、相当マクドナルドの人がアホに見える。
少なくとも、2つの視点(感覚的には、90度以上ずれた視点)からの情報がないと、その判断は一面的で怪しいものになる。逆に、賛成意見と反対意見(180度近くずれた意見)を知ってから判断をすれば、精度は格段に上がる。
同性婚の判決が僅差だった理由
同性婚の件でも、このこと(情報が片側からしかないと判断が一面的になってしまうこと)を再認識させられた。個人的には「時代の流れだな」と思っていただけだったが、宗教などの問題も絡むため、実は複雑な事象だった。
実際、アメリカ最高裁の判決も、評決は5対4の僅差である。「恋愛の自由」に反対するなんて、4名の判事はひどいやつだと思う人もいるかもしれない。
FBやツイッターのアイコンがレインボーに染まる流れの中で、非常に勇気があると思うのだが、知人の元「広告」編集長・池田正昭氏が、クリスチャンとしての立場から、反対した判事たちの意見を翻訳してまとめていた(最後の陰謀うんぬんはいらなかったと思うが……。池田氏が引用している英文ニュース元はこちらなので、英語が読める人はこちらを読んだほうがいいかも)。
彼らはなぜ同性婚に反対したのだろうか。
大きくふたつの理由があり、ひとつは、宗教上(信仰上)の問題である。池田氏の投稿によれば、同性婚先進国のメキシコでは、同性婚を認めない司祭たちが、収監も覚悟しているそうだ。今後、同性婚を認めないキリスト教系の学校や病院などに対して、減免措置が除外される可能性もあるという。
結婚と同等の「権利」を認めるのではなく結婚の「定義」が変えられた
もうひとつは、同性愛者に結婚と同等の「権利」を認めるのではなく、結婚の「定義」自体を変える判決だからである(憲法上の根拠がない)。
解釈でなんでもできるなら憲法が意味をなさなくなり、このあたりは、日本の憲法9条問題にもリンクしてくる。同性婚うんぬんではなく、司法の暴挙だから反対したということだ。
別に池田氏や反対した判事たちの意見が正しいと言いたいわけではない。ただ、こういう意見があると知るのも大事ではないだろうか。今回の件は、単純に「恋愛の自由」が勝利した、という話ではないことは確かである。